地元では猫塚さんの名で知られる衣羽神社は、恵比須、稲荷とともに合祀されている。場所は神社の裏手。
 
福井県福井市宝永4-8-1問い合わせ 神明神社 0776-24-2210車 北陸自動車道福井ICより国道158号線経由で約10分電車 JR北陸本線福井駅より徒歩12分
 
 年を経た猫は怪しい振る舞いをするものだという。手拭いを使って踊ったり、人の言葉を話すのは序の口で、とくに尾が二股に裂けるまで長生きした猫は狐狸に負けず劣らずの変化能力を有し、様々な怪異をなすといわれる。各地の口碑伝承や古書には、そうした古猫の怪異譚がたくさん残っている。福井県福井市内には、次のような話が伝わっている。
 江戸時代の初めごろのこと。福井城の北側に位置する神明神社の近くに、川澄角平という片目の武士が住まいを構えていた。あるとき、角平は藩主に仕えて江戸に旅立ち、家では女房が一人で留守をしていた。すると、ある日の夕方、江戸にいるはずの角平がひょっこりと姿を見せたのである。角平は、「藩主の命によりこっそり帰ってきたが、明朝にはまた江戸に戻る。このことは誰にも告げてはならぬ ぞ」
 という。女房は不思議に思ったが、ちょうど近所からもらった鯉があったので、それを料理して角平に出した。そのとき、女房はハッとした。角平は右目が潰れているはずなのに、左目が潰れていたのである。女房はそっと部屋を出て、弟を呼びに人を遣わし、何気なく戻ってみると、すでに角平の姿はなく、食い散らかした膳だけが残っていた。
 その後、本物の角平が江戸から帰ってくると、しばらくは何事もなかったが、何年かすると今度は女房が二人になってしまうという怪事件が起きた。顔形はもちろん、その声や仕草までまるっきり同じなので、長年寝食を共にしてきた角平でさえどちらが本物か見極めることができなかった。そこで角平は自分の郷里の産土神である衣羽大権現を結城(現茨城県結城郡および結城市)より勧請して、魔性の者退散の祈願をした。が、その効験はいっこうにあらわれなかった。しかしある夜、角平が酒を飲みながら何気なく二人の女房を見ていると、一匹の蠅が一方の女房の耳に止まった。すると、その女房は耳をピクピクッと動かして蠅を追い払ったのである。角平はすかさず長押より槍を取り、その女房を突き殺した。やがて現した正体を見れば、年を経た大きな猫だった。角平はその猫の死骸を埋め、その上に改めて衣羽大権現を祀り、祠を建てたという。
 猫を埋めた塚は残っていないが、衣羽大権現は今でも神明神社の合祀殿に衣羽大神として祀られている。古くは「正保二年三月吉祥日 施主川澄角平興勝」という銘の碑だけだったそうで、諸願成就の神として民間に広く信仰されはじめた天保・弘化(一八三〇〜一八四七)のころより、境内社として社殿を持つようになったという。現在ではなぜか子供の夜泣き封じに霊験があるとされ(単なる寝子の語呂合わせか?)、猫塚さんの名前で親しまれている。
 さて、ここからは猫の怪異とは関係ない余談となるが、取材時に気になったことを記してみたい。角平が結城から持ってきた神を紹介文では衣羽大権現としたが、神社発行の由緒書を見ると、衣羽ではなく袋羽と記されている。しかし、神社の扁額や絵馬には衣羽の文字が書かれているのだ。どちらが正しいのか神社方に電話で質問してみると、衣羽は間違いで袋羽が正しいという答えが返ってきた。間違った名前が扁額にあるのもどうかと思うが、柳田国男監修の『日本伝説名彙』でも『越前国名蹟考』を引いて袋羽権現としているので、こちらの方が正しいのかもしれない。ただ、角平が結城より勧請したというのであれば、衣羽の名前の方がしっくりくるように思えるのだ。茨城県の結城地方は古くから絹織物で知られ、養蚕が盛んな土地だった。養蚕守護の神社も少なくない。衣=絹とすれば、衣羽大権現は養蚕の神だった可能性もある。また、同じく養蚕が盛んだった長野県更埴市や青木村、新潟県栃尾市などの地方では、蚕神として猫神を祀る風習がある。これは蚕を食べる鼠を退治して欲しいという願いを猫に託したものという。結城地方で養蚕守護としての猫神の話および衣羽大権現の名前は確認していないので、衣羽大権現=蚕神=猫神だとはいえないが、もしそうだとしたら、化け猫と衣羽大権現との繋がりが見えてくるように思える。ちなみに福井市の主産業も絹織物を中心とした繊維産業で、とくに絹織物の歴史は古いといわれている。
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